なぜ東京DTM作曲音楽学校は、突出して沢山の活躍するプロ作曲家を輩出し続けられるのか、その根源となる指導理念を紹介します。
目次
音楽的な自己解決能力を極限まで高める
本校をひと言で要約するならば、音楽的な自己解決能力を極限まで高めていく場であり、どのように時代が変化をしても、未知の音楽的手法と出会っても、即座に対応のできる真の実力が身に付けられる学校です。
音楽は歴史上その進化や変化の歩みを1度も止めたことはなく、今後もこれまでと同様に次々と新しい手法や表現が生まれてくることでしょう。
仮に今現在に至るまで全ての音楽的手法を会得したとしても、少しの時間が経ってしまえばまた新たな音楽が生まれ、全ての音楽に精通している状態ではなくなります。
未知の音楽的手法に出会った際、自分自身で瞬時にその音楽の構造的本質を見抜き、それらを自分のフィルターを通して再構築できる技術がなければ、何時まで経ってもその都度レッスンや学校の類に頼り続ける「学校マニア」にしかならず、実際この状態に陥っている者は数多く存在します。
常に形を変え続ける「音楽」を取り巻くあらゆる動向を、例え話ではなく毎日情報を更新していき、技術的な分析をもって世の中全体がどちらの方向に向かおうとしているのか見極め、どのようにアプローチしていくべきかを考え続けていかなければ、末永く職業音楽家として生きていくことは厳しいでしょう。
本校ではどのような音楽的ケースにおいても、自分自身で問題解決ができる音楽家の育成のための、様々な施策を入学初期から徹底して行っています。
現役のプロが講師陣であることは教育機関としてのスタートライン
プロとして結果を残した者が即ち優秀な指導者ではないことは今更述べる必要もありません。
しかし、プロの世界に進みたいと願う生徒に対して、自分自身がその世界に辿り着けなかった講師が最適な道順を示すことは不可能であり、結局は卒業後に生徒自身の自己努力で辿り着かなければならない例が後を絶たず、音楽教育業界の最も大きな問題となっています。
一口にプロの作曲家といえど、音楽制作の現場は益々多様化を極め、その活動内容や範囲は拡大していく一方です。
そして制作現場だけでなく、昨今ではエンドユーザーへの音楽の届き方さえも多大なる変化や広がりが見られ、それは同時にプロの作曲家、音楽家の在り方さえもどんどんと複雑化させています。
プロを希望する生徒に対してまず学校が示すべきことは、生徒1人1人の希望にじっくりと耳を傾けた上で、現代の音楽制作の現場にはどれだけの多様性や可能性があり、まだ彼らが知らないことを補完してあげた上で、それぞれにとって最も相応しい「プロの世界」との関わり合いを見つけ出し、そこに向けての目標やロードマップの設定からスタートします。
そして、これまでの音楽的経験と今後の目標が皆異なる中で、全員にとって一律に相応しい授業や指導などあるわけがなく、個々に最適化されたオーダーメイド的指導を実現するには、現代の音楽制作に精通した幅広い対応力がある現役のプロフェッショナルであることが最低条件となります。
しかし、上記は最上のDTM、作曲教育を成し得るための前段階に過ぎず、こうした条件が揃ってからようやく教育法や指導理念が意味を成してくる段階となるのです。
「魚を与えるのではなく魚の釣り方を考えさせる」教育
前述の専門学校、音楽大学、著名人セミナー等、その他あらゆるところに通っては大した効果を出せていない「学校マニア」に陥っている人の特徴として、講義やセミナー内で知った特定の楽曲で使われた手法を、著名プロのやっていた方法だから間違いないと自作曲にそのままの形でトレースしてしまい、結果的に全く上手くいかないという事例がしばしば見受けられます。
講義やセミナー内で例示した楽曲の作曲者からすれば、あくまで理想とするサウンド、楽曲のイメージが脳内にあって、それに近付けるための諸々の作業でしかないにも関わらず、何の考察もなしにただ手法だけを切り取って移植するだけでは、手段と目的が完全に逆転した音楽的な思考停止状態でしかありません。
更に最悪なことは、そうした上手くいかない根本的な原因が、無自覚な手法トレースにあることに、何時まで経っても気が付かない場合です。
いかなる場合においてもその手法が完璧に通用するのはその楽曲だけであり、どうしてそうした手法に至ったのかという発想の根源がわからなければ、いくらプラグインの数値、使用音源、コード進行等のメモを取ったところで何の意味もないどころか、むしろ手法に縛られた状態の悪影響は多大なものとなります。
現時点では魔法の音源やプラグイン及びその使用方法、絶対にヒットするメロディーやコード進行など存在せず、楽曲を構成する実に膨大な要素の1つ1つを、尋常ではない細かさと神経質さで、丁寧に丁寧に仕上げていくことでしか、市場で通用する楽曲を生み出すことはできません。
「量は質に転化する」との言葉のとおり、当然知識はあればあるに越したことはありませんし、本校でも授業や課題を通して膨大な音楽的知識を付けていただきます。
しかし、蓄えた知識をどのように組み立てて1曲を完成させていくのかというテーマでは、知識の蓄積とは全く別の思考法と修練が必要になり、手法の羅列でのオペレーティングが極めて困難な音楽制作という創作行為においては、楽曲ごとに全てのプロセスが変わるため、どのような場面においても過去の成功例に捉われず常に最適解を熟考しなければならないのです。
従ってトレース癖ばかりが強化されてしまう結果論や分析結果だけを教える従来の作曲教育ではなく、常に問題解決の方法を自分自身で思考していく指導を在学初期から行うことにより、例えどのような音楽的難題と出会っても、極力他人に頼らず解決策を見出せる音楽家を育成することができるのです。
またこうした指導は、「良い」という価値観が時代と共に大幅に変化し続ける音楽において特に有効であり、一時でもプロになることが目標なのではなく、長きに渡ってプロで在り続けられる音楽家を前提とする本校の理念においては、自然と導かれた結論でもあります。
このような指導こそが、今や無料で沢山の情報が手に入る時代になった現代における、教育機関の存在意義であると考えます。
アクティブラーニングに基づいた授業と課題
それではどのようにして上記のような指導を行っていくのか、具体例を挙げて説明しましょう。
右図はアクティブラーニング呼ばれる教育法を作曲教育に置き換えて本校が独自に再定義をしたものです。
他校では時々しか課されない作曲課題ですが、本校では殆どの授業で、授業の内容を踏襲した作曲課題が出題され、既定の成績に届かない場合には再提出となり、合格するまで次の授業に進むことはできません。
決して1000本ノックのような前時代的根性論の押し付けではなく、他校で行われる一般的な授業ではLv1~4までの習熟深度しか達成できませんが、授業内容に紐づいた楽曲制作課題をこなすことで、授業で学んだ内容をより学習効果の高いLv6の段階にまで落とし込むことができるのです。
それだけに留まらず、提出された楽曲を講師陣が指導することで、指示された通りの楽曲になっているのか(仕事において時に抽象的な言葉だらけになりがちなクライアントの要望を的確に見つけ出す訓練)、授業で学んだ音楽的手法がきちんとした形で楽曲に盛り込まれているのか、生徒自身が気付いていない癖や得手不得手、などの視点からの指導を行うことで、「理解しているつもり」で次の授業に進むことのない万全の態勢を築くことができます。
そして、オンラインコミュニティで取り交わされる様々なやり取りの中で、質疑応答に特化したchも用意されています。
本校では質問に対する回答は全て講師陣がするのではなく、在学中の生徒であっても自分が理解している内容であれば、率先して分からない人の質問に回答をしてあげることを推奨しています。
もうお分かりかと思いますが、これが最も学習効果の高まるLv7の状態なのです。
こうした学習効率の効率化は、時間の効率化とイコールであり、より少ない時間投資で最大限の効果を獲得するために必須となる施策です。
このようにして、カリキュラムの充実とはまた別の視点で、学習という行為自体に焦点を当て、学術的な研究を伴った最新の教育論や指導法に対しても常にリサーチを怠らず、それらで得た知見をDTM、作曲の教育に相応しいものへと置き換えていく試行錯誤をすることも、我々の重要な仕事の1つです。
2種類の成長
音楽的な成長とは主に2種類存在します。
1つは、筋トレの如く日々の積み重ねを長い期間続けていった先にようやく獲得できるスキル。
DTM、作曲に関するスキルの殆どがこちらに該当し、基本的に授業と作曲課題の対の関係性は、こうした長い積み重ねを必要とするテーマに対しての、学習効率の最大化と時間短縮の対策であり、生徒が本校で経験する大部分がこちらに該当します。
もう1つは「経験」するだけで済んでしまうことです。
最早自宅プリプロまでの工程であれば、機材や環境面でのプロアマによる差は殆どないに等しくなりました。
しかし、プロの場合大抵はそこからリリース音源に仕上げるまでの諸々の工程が控えています。
1日数十万円も掛かる本物のレコーディングスタジオ、2万ドルのマイクの録り音、生ストリングスの信じられない奥行きと立体感、一流のギタリストのアンプから出てくるガラスが割れるような硬度なサウンド、ディレクション1つで別人のように変わってしまうボーカル、通すだけで途端に楽曲が求めるサウンドに変化を見せるアウトボード類、等々。
主にレコーディングや楽曲制作の現場で行われる一連の流れが中心ですが、上記の殆どがプロとして現場に出てから初めて経験できることばかりで、これらの作業を現場未経験者やアマチュアが自宅DTM環境にて行う場合は、仕方なく断片的に見聞きした情報だけを頼りに、憶測で作業を進めざるを得ません。
「自分がミックスだと思ってやっている作業は、果たしてプロのミックスの現場において行われることと同一の内容や品質なんだろうか?」
一例ではありますが、こうした状態こそ、全てのアマチュアが最ももどかしいと感じる部分でしょう。
そして現に、経験がないばかりにそもそもの間違いの発端である、手段と目的の逆転にあるということに何時までも気が付かず、赤の他人の過去の成功例を一部抜粋したものをトレースしていることへの認識がないまま、正しい問題点の把握から遠ざかっているケースが大変多く、この状態こそが上達を阻む大きな要因となっているのです。
こうした憶測だけの作業や勘違いを起こさないために、一連の流れとして実際に経験することで、自分がやるべきこととそうでないこと、自分がやるべきだが技術が足りていないこと、作曲・編曲・ミックス・マスタリングの線引きなど、今まで有耶無耶になっていた各工程への概念が形成されることで、正しい問題点と改善方法の把握が初めて可能となり、目標に向けて一直線にPDCAを回していく上で絶大な効果をもたらすのです。
こうした経験で得られる様々な知見についても、可能な限りカリキュラムに内包することにより、ベールに包まれたプロの現場への間違った認識を持つことなく、着実な目標達成へと繋げていくことができるのです。
最後に
さて、いくつかの教育法や指導理念をお伝えしてきましたが、プロとして市場が求める音楽が提供できるレベルに達するには、これら以外にも実に多岐に渡る要素が必須となり、当然その要素の1つ1つは異なる性質を持つため、全てのケースにおいて是々非々で最善となる指導を考案し、絶えず時代の機微を先読みし日々アップデートを加えています。
また、音楽とは時代とともに常に変化を伴うものであり、ある時点で最高の指導が仮に存在したとしても、普遍的な指導など存在せず、数年前と同じことの焼き直しだけでは既に通用しないところにまで、世の中の変化の速度も増すばかりです。
そして、生徒においても音楽的な育ちや今後の目標が他人と一致することなど殆どないが故に、画一的な授業と指導では全ての生徒にとっての最良な教育とはならず、個々の経験、目標、事情に応じて個別のロードマップを策定し、個別に最適化された指導を行っていく必要があるのです。
以上、一部ではありますが、皆様に東京DTM作曲音楽学校の理念の片鱗がお伝えできれば何よりです。
<関連記事リンク>